646日後、、だが今日はバンガイヘン!
初めて何日経ったかは知りませんが、
勉強をしたい気持ちとモチベーションが維持されている以前の問題で、
私の気持ちが不安定な日々を過ごしています。
私自身もなぜだか知りませんが、どんなに心を許している相手でも、家族にも、つらい時に平気な態度をとってしまいます。
心配してくれることはわかっている。やさしさを向けてくれることもわかってる。そばにいてくれるから安心できることもわかってる。その反面、自分が辛かったり苦しかったりとそんな状況であることを認めたくない、つらいことを認めたら泣いてしまうし、素直な気持ちが出てきてもっと苦しくなる。
でも、そんな感じのことがここ数ヶ月何度かありましたが、繰り返してわかったことがあります。
自分の感じたままの気持ちを認めることは、強さのひとつかもしれません。
しかし、その強さは自分ひとりでは生まれないものかもしれません。
どんな時でも寄り添ってくれる相手がいて、そんな存在に安心できる自分がいる。つらい・悲しい・苦しいなど どんな気持ちを相手に伝えても、受け入れてくれるという信頼がないと、まず伝えないと思います。
自分の気持ちを素直に認めることができたとき、相手がいてこそのその状況だと思います。
もういいかなと、生きることを諦めようと考えていた時、ずっと同じ人たちの顔が浮かんでいました。最後に会って、誰に手紙を書いて、どうしたら悲しませずにどこかへ行けるか、とか、考えていました。
2度と会えなくなるなんてそんなのは嫌だとおもっていたけど、会えなくなることを現実的に考えることなんて無理でした。
でも別にやり残したことはないと思っていました。
ない、というより、多分そんな深く考える余裕もなかったんだと思います。
余裕がなくなっている時点で、もう冷静さなんてなかったんでしょうね。
とにかく何も考えたくなかったので、『何も考えずに何からも追われない』そんな状況になれる方法だけを探していました。
何度でも言いますが、本当にわたしは人に恵まれています。
人からの恵まれ度でいったら誰も追い越すことなんてできないほど、トップレベルの恵まれ度だと思います。
意味がわからないぐらい、わたしはそばにいてくれる人が大好きでたまらないです。その人の限りある時間のなかの一部の時間をわたしのそばにいることに使ってくれてると思うと、すごく嬉しいです。すごくありがとうと思います。
そう思うと、やっぱり自分はいちばんの幸せ者だから、もうこれ以上望むこともないと思っていました。人に愛されていて、それ以上に幸せなことなんてありません。ほんとうにそれぐらい、私はいつもそばにいてくれる人たちが大好きです。それだけでいいのです。
でも裏を返すと、そんな大好きな人たちを私の姿が変える形で悲しませたり苦しませることになるんだと、そんなことは考えていませんでした。
そういえば、私が消えたら、何もしてあげられない。そんな大事なことにも気づかなかったです。
私はこんなに大好きだと思える人がいるなら、その人のために生きようと思いました。
何もしてあげられないこと以上につらいことはないから。
こんな大事なことを気付けたのも、彼のおかげです。
どんな時もずっとそばにいてくれます。
一緒に過ごしていないときも、そばにいてくれる感じがします。
これからも一緒に頑張りたいとまた思えました。
大事な人たちのために何かしらしてあげるために、これからも生きます。
(これを読んでいるかはわからないけど、いつもそばにいてくれてありがとう。どんな時も一緒に乗り越えよう。)
バンガイヘン!終